岩井が整備士を目指したのは高校時代。修理工場を営む父親を見て育った岩井にとって、中学3年のとき、突然の病に倒れた父の後を継ごうと思ったのは、ごく自然な流れだった。特別にクルマ好きだったわけではない。ただ、整備士になるなら一流になりたいと考えた。岩井はCATSを優秀な成績で卒業。当時ディーラーの中でも狭き門と言われた「ネッツトヨタ千葉」に入社する。しかし、岩井の目的は人気企業への就職ではなかった。「トヨタ自動車の整備技術コンクールで全国優勝する。」同社には全国優勝を勝ち取った監督がいた。「ホンキか?」。岩井の決意に反して周囲の目は冷たかった。
CATSでみがいた実力を武器に、コンクールの練習に明け暮れた岩井は選手テストをパス。北関東大会で優勝を飾り、名古屋の本戦へ。全国の腕ききメカニックが火花を散らす全国大会で見事、準優勝に輝いた。「納得できる結果・・・」と岩井は振り返る。しかし、そのとき岩井の心は、さらに広いステージを目指していた。「準優勝はトヨタの中だけのこと。次は地球規模で通用するメカニックになる」。岩井の行動はスピーディかつ無謀なものだった。コンクール終了後に会社を退社。ドイツ、フランクフルトの語学学校に入学願書を送り、ひとり旅立った。実はドイツ語はおろか英会話さえ自信がなかった。


フランクフルトに飛んだ岩井。彼の財産は自転車とコンクール準優勝の一部始終を記録したVTRのみ。「VTRにはトヨタ・ヨーロッパで活躍しているメカニックも映っています。これが自分の実力を世界で語ってくれると思いこんでいたんです」と岩井は苦笑する。語学学校ではあらゆる国の友人もできた。技術者が自分の仕事に誇りを持ち、その実力を称賛するヨーロッパ人の考え方に共感した。「ドイツの技術者は仕事にプライドを持って生きています。いろんな国の友人から刺激を受けて人生観も広がりました」と岩井。1年間、会話力をきたえた岩井は遂に動き始める。BMW、メルセデス、ワーゲンなど、なんとドイツ国内のディーラー100社近くに履歴書を送りつけたのだ。しかし、現実は甘くなかった。岩井に面接の機会を与えたのはBMWただ1社。「当時のドイツ自動車業界は、日本人メカニックを信用していなかった。そこでコンクールのVTRを見せました。とたんに態度が変わりましたね。それは僕の実力というより、20代の若さで国家整備士資格、つまりドイツなら“マイスターの最上位資格”を取れる日本の教育レベルに驚いたんですね。ドイツならマイスターになれるのは30代半ばです。これは整備士を目指す高校生にも、ぜひ知っていて欲しいこと。日本の資格は世界でも充分通用します」。岩井は見事、BMWの直営ディーラーの研修生として採用された。
それからの岩井はBMWを皮切りに、メルセデス、ワーゲンなどのメカニックを数年間にわたり経験する。「一定期間、働いて各メーカーのメカニズムや整備技術を勉強して、給料が貯まるとヨーロッパを旅しました。アフリカにも行ったんです。楽しかったですね」と岩井。“もう充分学んだ”。そう確心した岩井は平成7年に帰国。ボルボのディーラーでトラックの整備技術を磨き、平成9年には、自動車整備工場の認証を取得。翌年、満を持して㈲岩井自動車を立ち上げた。「ドイツで学んだのは知識や技術も去ることながら、メカニックとしての心。日本に数台という貴重なモデルの整備もお受けしていますが、たとえ未知のクルマでも資料を熟読して勉強すれば、かならず直せる。いろんなクルマに触れた自信が、そんな心の余裕につながっています。経験を重ねること、それはどんなときも初心を思い出し、落ち着いて対応できる心を養うことなんです」。岩井利幸。CATSで学び、世界できたえられ、今、自分流の整備哲学でクルマと向き合う男。その瞳は今日も情熱を秘めて静かに輝いている。
地域を中心に千葉県全域からカーオーナーを集める専業工場、それが岩井さんの経営する㈲岩井自動車だ。ファミリーカーから日本に数台という歴史的な名車まで、岩井さんが手がけるクルマに限りはない。「CATSの魅力はチャレンジ精神をとことん応援してくれる先生がいること」と語る岩井さん。どんなお客様も大切にするCATSが生んだ国際派のスゴ腕メカニックである。








